みなさん、こんにちは。
AIR SHELFのブランドマネージャーを担当している大川と申します。
この連載記事では、平安伸銅工業とTakramのコラボレーションブランドである『AIR SHELF(エアシェルフ)』がどのようにしてできたのかについて、平安伸銅工業に所属する私の視点から読者の皆さんにお伝えしていければと思います。
会社のご紹介
皆さんは新規事業や新ブランドの立ち上げる際(あまりイメージわかない方は何か新しいことをはじめる時で考えてみてください)、一番最初になにが必要だと考えますか?盤石なノウハウでしょうか?面白そうなアイデアでしょうか?
私たちは、「自分たちの存在意義=ミッション」の達成が何よりも大事だと考えています。
AIR SHELFの立ち上げには、既存ブランドに対する課題意識や、平安伸銅工業という会社全体でのミッション策定が深く関わっています。
今回は企業が変革に向かうときに、どのようなことから考えはじめるのかについて、皆さんにご紹介させていただきます。
まずはあらためて、平安伸銅工業についてのご説明をさせていただきます。
平安伸銅工業とは、なにをしている会社か?
平安伸銅工業は、1952年に創業したメーカーです。「突っ張り棒」では国内トップシェアであり、ホームセンターで見る突っ張り棒の大部分は平安伸銅工業が製造しています。もともとは、アルミサッシの製造から出発しましたが、高度成長期に合わせるかたちで生活日用品の製造を幅広く手掛けるようになりました。
長く低価格と機能性を重視したアイディアグッズの開発を主力事業としていましたが、競合他社との価格競争の中で、これまで通りの低価格・機能性重視のモノづくりだけでは成長が難しくなってきました。その危機感から立ち上げたのが、2x4材を活用して理想の暮らしづくりをサポートするつくるインテリアブランド『LABRICO(ラブリコ)』と、突っ張り棒を暮らしを彩る一本の線として再定義した『DRAW A LINE(ドローアライン)』です。
LABRICO(ラブリコ)
DRAW A LINE(ドローアライン)
LABICOとDRAW A LINEが立ち上がったのは、ほぼ同時期の2016年頃。ホームセンターではなくインテリアショップといった新しい販路や、機能価値だけではなく情緒的な価値も必要とするユーザーとの出会いなどたくさんの刺激がありました。一方で、それ以降は新しいブランドの創造は行えていませんでした。
危機感の中で再定義した、自分たちの存在意義
加えて、2020年にコロナ禍になり平安伸銅工業はほとんどフルリモート環境になりました。メンバー同士がオンラインでしかつながらず、創造的なモノづくりに課題を感じることも多くなっていました。そこで、平安伸銅工業の経営者が行なったのは、あらためて平安伸銅工業のミッションを明確にすることでした。
平安伸銅工業の世の中への提供価値とは何なのかを突き詰めて考えたところ、出てきた答えは、「どんな時もユーザーに寄り添うために、変わり続ける暮らしに寄り添えるプロダクトを作ること」でした。どんなに暮らしが変わっても、今使っている平安プロダクトは、その暮らしに寄り添ってくれる。ユーザーがそのように感じてくださるプロダクトを今後も作り続けよう。そんな思いを「暮らすがえ」という言葉に込めました。
今の環境に少し手を加えるだけで、ライフステージや時代の変化に寄り添った暮らしを作り続けることができる。
そんな暮らしが実現できれば、私たちは今よりもさらに自分らしく暮らすことができるのではないでしょうか。
リフォームのような大改造を加えなくても、自分たちの手でできることがある。
例えば、何もなかった場所にぴったりとフィットした収納スペースをつくったり、リビングをワークスペースとリラックススペースに区切ったり……。
ちょっとしたアイデアと工夫で、その時の暮らしのニーズに合わせて、空間をアップデートしていく。
私たちはこれらの行為を「暮らすがえ」と名付けました。
まるで、衣替えをするように、気軽に自分で「暮らす」をかえる。
自分たちの手で自分だけの「私らしい暮らし」を作り続けていく。
それこそが、今の時代の「暮らしの豊かさ」だと、私たちは信じています。
https://www.heianshindo.co.jp/kurasugae/heian/539/
「暮らすがえ」の文化を創る
大きな環境の変化を経て、平安伸銅のミッションが明確に定義されました。
骨太なミッションが自分たちの判断を明確にする
このミッションが、AIR SHELFの根本になるブランドビジョンにも紐づきます。ともすると、「とにかく何か新しいことをしよう」となりがちな新規事業ですが、進む過程で、「これは自分たちがするべきことなのか」などの疑問がたくさん湧いてきます。ですが、AIR SHELFは、ブランドをつくる過程で、何度も「暮らすがえ」を判断基準に意思決定を行ってきました。自分たちの背骨になるミッションが明確だったからこそ、大きく迷うことなくブランド作りを行えたと思っています。
次回は、「#3 ブランドづくりは仲間づくり」になります。なぜ、平安伸銅工業だけで事業の立ち上げを行わなかったのか、なぜTakramさんだったのか。コラボレーションの背景をご紹介させていただきます。